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電子メールシステムの歴史(躍動期)-1

■ 電子メールシステムの歴史(躍動期) 

1969年にアメリカで始まった ARPANET であるが、電子メールの順調な普及に合わせるかのように接続拠点が増え、1975年には、接続拠点は 60箇所を超えている。
 この頃になると、米軍関係はもとより、NASA や一般電話回線からの接続もされるようになる。注意して欲しいのは、これは、あくまでもアメリカ・西欧の話で、日本はこの環境にはまだまだ縁遠かった時代であることを頭の片隅において頂きたい。
 さて、普及が進みだした電子メールシステムであるが、1974年頃には、以下の問題が取りただされていた:

・読みたい電子メールが自由に選択できない。
・電子メール送受信のための通信手順がまちまちで、相手のシステム相性で送受信できたり、出来なかったりする

 だが、この2つの問題は、通信規格標準化の流れの中で解決している。

 電子メールの普及が主な理由というわけではないが、ARPANET の肥大化に対応するために、1973年頃から新しい通信規格の策定が進められている。
ARPANET 発足当初は現在とは異なる ‘Host-Host protocol’というもので接続されていたが、1974年5月に TCP/IP が「ビント・サーフ」と「ロバート・カーン」なる人物によって、その仕様が公開されると、徐々に TCP/IP が広まり、ARPANET が解体された現在も、インターネット通信の標準規格になっている。
その原動力となったのが、1976年に、Unix に TCP/IP が組み込まれたことだろう。

Unix へ TCP/IPの組み込みを行ったのが、州立カリフォルニア大学のバークレー校で、当時コンピュータ学部にいた研究者や学生である。
これが、現在の BSD Unix の原型であり、FreeBSD,NetBSD,PC-BSD などの亜種がこの流れである。

 電子メール送受信の為の通信規格も TCP/IP に合わせたものになるかと思われたのだが、多くの場合、1976年当時のアメリカでも電話回線による 2400bps 程度の通信が主流で、TCP/IP は電話回線で使うにはコンピュータの処理が重くなるため、1980年代後半までは、好んで UUCP (Unix to Unix Copy Protocol)という通信規格での電子メール送受信が行われていた。
 UUCP による電子メールの送受信は、以下のようなイメージである:
img2_01.gif

UUCPで新たに目にする概念は、「第3者中継」という考え方である。
左の図では拠点Aのユーザが拠点Bのユーザと電子メールをやりとりしようとする場合、拠点Aと拠点Bは直接接続されていないため、直接のやりとりは不可能である。また、拠点Aと拠点Bがあまりにも離れているので、通信料が膨大になるために接続できないということもある。

そこで、UUCP では、隣りの拠点→隣りの拠点→隣りの拠点…… というようにあたかもリレー中継のように転送を繰り返しながら、最終的に目的の拠点まで送り届けるという手法を取ることが可能になっている。
転送を依頼される側は、転送を拒否することなく受け付けることが前提となる。これは、今では「オープンリレー」と言われるもので、不正中継に使われることが 1990年代後半に頻発したため、今では殆ど使われなくなっている。
「古きよき時代」でもあり、こうしないと安価に電子メールの送受信が出来なかった当時の事情もある。
 UUCP においても、電子メールの利用者は大型コンピュータのユーザしか想定していないため、電子メールの利用は、大型コンピュータを利用できるユーザに限られている実態は変わらない。

 また、同時にマナーやモラルも試行錯誤で一定の形態が出来上がってきており、1979年頃から、マナー上文章だけでは誤解を与える場合もあることから、顔文字が出現している。
顔文字は必要に応じて自然発生したものなので、「顔文字はやめて」と使用を否定したり、拒むのはかなり酷である。
img2_02.gif 左記は、欧米圏で多用される顔文字の一部である。
通常、:-) のように横向きに記述されるので、一見単なる記号かと思う向きもあるかもしれないが、これらは右に90度回転して見るのである。
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