歌を詠む

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きのうはいいことがあった。
人と話すって楽しいなー
過去にあったことも流せないようなこともひっくるめて、また話して交流すればその事実が積み重なって過去になっていく。
そんなことを実感した。

アイスコーヒーの季節になってきまた。
この季節、なに着たらいいのか毎年迷う。
半そでじゃちょっと早すぎるけど、すぐに織物をさらりと腕に抱えたくなる、微妙な夏前のこの季節。
なぜだかいつもよりもニュースが、日常感を増して伝わってくるような気がするのは、学校の生活に慣れ始めるころだからかな。
普段なら5月病なんていうわかりやすい病状が軽く出たりするんだけど、今年は海外に行ってたから、戻ってきたらもう時が経っているタイムスリップ。
ハーマイオニーの時計をくるって回したような気分だ。

いま印刷待ち中。
発表緊張する。
基本レベルが学部とは違うから、準備段階で念入りにチェックしないと、恥ずかしいことになる。
やはり大学教授はすごいな。
毎週学生のその発表を受け止めきれるようなコメントを暗に求められるから、日常的に晒されるプレッシャーは相当なもののはずで、それに耐えてる持久性に尊敬する。

今年の夏はなにして過ごそうかなー
勉強面白いなー
自分のペースが許されるって、自分でやりたいように毎日の時間を生きられるって幸せ。

+++

妹との、歌のやりとりが楽しかったりするんだ。

わたしは文章を書くのが好きで、対して妹は、歌を詠むのが好きなのだ。
彼女にとって歌を詠む、ということは、言葉を射抜く、ということらしい。
弓道をやっていたから、イメージをつかみやすいのかもしれない。

ドイツを歩いていて、話すことがひと段落ついたときに、ここでなにか詠めないか、ということに話が流れて行った。

わたしが散歩しながらそのとき目にしたのは、蒼い空に高く突き抜ける教会の、開かれていない扉だった。そして、その向かい側で電線を直すために電柱に登っている修理人を見かけたので、それがとても休日らしいなあ、と感じた。
妹に、その風景を切り取れない?と提案した。

最初にわたしが、考えて詠んでみる。

突き抜ける 赤い教会 休みの日

突き抜けるより、空抜ける、のほうがよくない?

と妹が推敲する。


確かに、空抜ける、の方が、色の対比がくっきりと表れて、高い教会の参画の屋根が空を刺している感じがよく出る。

妹は下の句を考えていた。
 
―じゃあ、なんで休みなのかな、教会はって、いま考えてるの。

しばらくして、妹が思いついた。

―ステンドガラス 修理するため
 

電柱修理人から発想を得たのだと思うけど、街の一コマが切り取られて、休み感が出て、しかもそこに教会が街に根付いていることも詠みこめているから、いい歌になったと思う。

空抜ける 赤い教会 休みの日
ステンドガラス 修理するため

妹は、一人だったらこんな歌は詠めない、と言った。
妹一人なら、もっとそこに内面の葛藤とか、自分の思いを、打ち出して風景と呼応させたくなってしまうらしい。
おねえちゃんは、そういうんじゃなくて、風景を読み取るんだね、わたしにとってはそれは甘っちょろすぎる、とそんなことを言われた。

+++

それから、ホテルの朝食をとったあとに詠んだ歌。
朝ご飯で、お父さんが一足さきに食べ終わって、部屋に戻っていったあとに、妹と二人でコーヒーとオレンジジュースを飲んで少しだらだらしていた。

なにかここで一句、詠んでみて、と投げてみると

妹が少し考えて

3日目の 赤いりんごは 寝ぼけてる

と上の句を読む。

どういうこと?と聞くと、バイキングの棚に積みあがっている残りのりんごを指さして、
旅3日目の寝ぼけた感じを、りんごに映しこんでみた、らしい。

―でも、それじゃあ、まだ説明がないとわからないよ。

それから、妹は、もっと旅っぽさを出すために、下の句になにを詠んだらいいのか相談してきた。

余談だが、前日に、わたしが外反母趾はどこに行っても痛いんだなあ、ということを歩きながらぼやいていたら、

―外反母趾!それってすごい詩的だと思う。
と妹が食いついてきた。

お父さんとわたしはそれを受けても、どこがー?と全然わからなかった。

妹は昨日の外反母趾を持ち出してきて、

―外反母趾ってさ、靴に合わない自分が痛い、ってことで、とても詩的だと思うの。
矯正されてるけど、はみ出したい自分っていうのが、外反母趾って言葉に凝縮されてると思う。
下の句に、それを詠みこみたいんだけど。
外反母趾と●●って詠みたいのに、●●が思い浮かばない。

わたしは考えてみた。
外反母趾、りんご、旅。
なにか伝えられるものはないか、と思った時に、自分の部屋に置いてあった地図を思い出した。
来たばかりの土地で、英語ばかりの知らない地名が乗った地図とにらめっこしながら道を歩いていると、だんだんと地図がやぶけたり皺くちゃになってきたりするのだ。
その地図が、ホテルの机の上にそのままになっていた。


―地図。そのシーンでは地図持ってるよ、きっと。

外反母趾と 丸めた地図と

どう?

3日目の 赤いりんごは 寝ぼけてる
外反母趾と 丸めた地図と

―うん。
すぐ浮かんできたにしてはいいね。
まとまったんじゃない。

―でも旅ってこと、伝わるかな?
―3日目と地図があるから、大丈夫だと思う。

わたしは、もう少しなにか線が貫くようにまとめたかったのだけど、妹は満足したようだった。
外反母趾に自分の思い、はみ出しそうな自分に、窮屈な靴があたって痛い、ということを詠みこめたことで、自分の葛藤を表現できてご満悦だった。

―メモしておかないと忘れちゃう。
―部屋帰ったらメモろう。

結局、戻ってから二人とも白いベッドを目の前にして、すっかり忘れてしまって、ホテルのベッドで二度寝に身を投げ出したのだけど。

いい歌は、どこかが抜けることなく覚えてる。
他にもいろいろ詠んだけど、この二つは覚えていた。
でも歌には本当は説明がいらないんだ。
どうもわたしはあれこれと話したくなってしまう。

 
+++

ちなみに、妹とわたしがどちらもすごく好きということで、一致してる歌。
これは新聞に載ってた歌。

お遊戯を 覚えられない 君のため
瞬くだけで いい星の役

歌のリズムやバランスとして、瞬くだけで と歌の最高潮が来て、すとんと、いい星の役、とおさまるのが最高、と妹が前にメールで送ってきてくれた。
星は、瞬くだけで役になるんだって、いうことに気付いているところが素晴らしい、と。
瞬く星に妹は、自分の姿を見ていたようだった。

一方わたしは、少し違う解釈を示して、この歌を気に入ってる。
お遊戯が覚えられないその子の側に立って考えたときに、保母さんの顔が浮かんできた。
その舞台を見ているであろう、お母さんやお父さんの顔も。

星の役を用意していて、その子が舞台に立って星になっている、っていう、そのキョトンとした顔が浮かんできて、そこになんとも言えないあたたかい目が向けられているようで、でもその子はその守られているっていうことにまだ気付いていない。
もしかしたら、この歌を詠んだ人は、過去にそういうことがあったんじゃないか、なんてことに思いを巡らせると、歌は時をさかのぼって広がりを見せる。

+++

二人とも持っているものが違うから、同じ歌を詠みこんでも、持ち出してくる要素が違う。
同じ歌を読み取っても、そこに見出す背景が違う。
でも、違うから、自分がもっているもの、妹がもっているものが浮き彫りになる。
だんだんと歌が立体的になっていく。
今は、二人のバランスがちょうどよい具合に機能してるのかもしれなくて、妹と話しているときに、そういうことを感じられる瞬間は、とても楽しい。

+++

ほかにも書きたいこといっぱいあるけど。

大学院の生活に戻って一日目。

ほぼ毎週発表に追われるからしんどい。

けどいまはまだ楽しい。

 

発表は学びの方法として有効だ。

特に、質の良い集団の中にいるときには、不完全さに対する恥じらいが、知識欲を引き上げてくれる。

自分できちんと理解してないことは言い回しがあいまいになること。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、っていう言葉があるよね。

どちらも恥なんだなって今思った。

恥って、なにかを習得するために重要なのかも。

人よ!おおいに恥じよ!

 

ちなみに、おじいちゃんの手帳に書いてあったボケ防止三原則引用。

ボケ防止のために

汗をかく

文字をかく

恥をかく

らしいです。

以上。

 

+++

 

発表してみて初めてわかる。

つっこまれて初めてわかる

自分の知識がいかにあいまいでいかに崩れやすいかってこと。

わたしなんて物忘れ激しいから、もう崩れてばっかり、っていうか、レジュメの状態にしてやっと成り立ってるけど、見ないと忘れてばっかり。

 

妹が、アインシュタインが述べてたことを教えてくれた。

記憶力悪くていやになる、って話してたら

「アインシュタインはめっちゃ記憶力悪かったらしいよ。

『調べれば全部かいてあることを、なぜわざわざ覚えなければならないのか』って言ったんだって。

それで相対性理論発見しちゃうんだもんね、アインシュタインしか言えないwww」って。

「へえ、そうなんだ」って安心しようとしたら一言。

「それで、何人もの凡人どもが安心して励まされるんだよ、無駄にね」

 

あとついでに一言シリーズもういっちょ。

オードリ―ヘップバーン

「わたしは映画で夢を見つけ、サマリアで愛を見つけました」

←オードリーしか言えないwww

あの人しか言えない一言についての、妹との間での定番のネタ。

 

+++

 

発表に話を戻しまして。

発表で重要なのは、期待値なんじゃないかな。

自分なんてどうせ・・・ってあきらめる人、自分に期待できない人には、いい発表はできない。

また、他人に「あの人ならいい発表をしてくれるだろう」って期待されることも、発表の質をあげるときには有効だ。

あの人があれだけの発表をしたんだから、わたしは少なくともそれに恥じないように、っていう自分の発表の到達ラインの見通しとレベル設定から、いい発表準備は始まる。

大学院は、周りの人でへぼい発表する人いないから、その期待値が相互にぐんぐん上がる仕組みになってる。

だから、質の高い集団に入って、プライドを捨てながら、恥を捨てながら、さらに大きなプライドを得ることって、高みを目指していくときに重要なんじゃないか。

だって学びはもう、教授が教えてくれるわけじゃない。

教授だって発表聞いて、それに恥じないようなコメントしなきゃいけないから、超シビア。

勉強って教えてもらうもんじゃない。

自分で体得していくもんなんだ。

 

それにしても。

いまレジュメ作ってるけど、

他にやることないし遊ぶものもないから、息抜きに本読んだり、ブログ書くしかない。

受験の時も、遊んでも仕方ないから、英語の復習→疲れて漢字→復帰して論文→好きな小説読解、って、やってることは全部勉強なんだけど、間にお菓子はさむみたいにイメージして、休憩がてら好きな勉強してた。

名付けてサンドイッチ方式。

それから、よく散歩もしてたなー

雑司ケ谷のあたり。

受験生のときがだいぶ過去になってきてる。

あー、池袋、懐かしいなー。

いまもそう、サンドイッチ方式でやらないと、とてもじゃないけど読むもの多すぎてついていけない。

それに、読んでないと置いてかれて焦るの自分だから。

受験の時って、知識を頭につめたのもそうだったけど、

なによりも自律・自制を自分ができるんだっていう確信を身につけられたことが、一番の財産なのかも。

自分はできるって、信じることから、成功とか到達はすでに始まっている。

だから、夢とか志望校とかの一歩目って、まず口にすることだと思う。

わたし高校のころ、恐れ多くて志望校とか口にできなかったけど、口にするところから始めないと、

達成はできない。

で、どういうときに目標なり夢なりを口にできるかっていうと、

身の程知らずでもなんでも、それを達成できるという自分像を、自分が自分の中にもってるときなんじゃないか。

要するに、根拠の妥当性にかかわらず、それでも達成できる自分の未来像=自信を自分の中に見出せるか。

いつか先生が「根拠のない自信ほど、強いものってないよ。無敵で絶対に崩れない。根拠無いんだもん」って話してて、笑いを誘ってたことがある。

たしかに!って思って、受験の時はすごい支えにしてた。

根拠のない自信ってすばらしい!って発見したように、思ってた。

根拠なんて最初からあるわけじゃない。

根拠はつくっていくもの。

継続してなにかを積み重ねていって、気づいたら他人から見てあるように見えるものなんじゃない?

なんでもそうかな。

試験でも恋愛でも就職でも発表でも。

なにかを切り開いていくときには、できるって、度胸がないと、その度胸だけを支えにして、飛び込んでいかないと、なにもできない。

 

はあ。つかれた。

疲れてるけど頭回転してるから筆が早い。

またレジュメに戻ります

 

あしたの17:00までに間に合うかな。

いや、間に合うかな、じゃなくて間に合わせる、だった。

間違えた!

では。

 


GWを挟んで、妹にスウェーデンに会いに行ってきた。
お父さんと妹と一緒に、
スウェーデン、デンマーク、ドイツを回った。
こちらはのんびりした旅行だった。

妹は、自分が変わった、って言ってた。
けど、帰りがけにお父さんに、変わったと思う?って聞いたら
そうでもないんじゃないの、って、返ってきた。

わたしもそう思う。笑

自分は変わったんだって、思う人
過去の自分と今の自分とを決別して
別人として考えるような人なんだと思う。

地層のように自分を重ねていく。
その境界線がくっきりはっきりしているかどうかなんだ。

でも、ゆるやかにグラデーションのように重ねていく人は、
その地層の境界線がはっきりしていない。
だから、変化には自覚的でない。

でも両者とも刻々と色味が変わっていく。
そんなイメージを持っている。

+++

そのあと、初めて海外一人で回った。
初めてであたふただろうから、
生きて帰ってくる、って目標をたててた。
達成できたから、ほんと、よかった。

ポーランドの、アウシュヴィッツ強制収容所にも、行ってきた。
見てきた、聞いてきた、感じてきた。

決して観光で楽しむために行きたい場所ではなかったけど
行ける機会があるなら行かねばならないと思ってた。
きっとこれからもずっと考えなければならない問題だから。

わたしの中に、ヒトラーもナチスもいることを堂々と否定できないから。

ガイドさんの話を、一言も聞き漏らすまいとして、必死に聞いて、メモった。
唯一の日本人ガイドさんで、アウシュヴィッツで14年間もガイドをしているという。


常識が変わってきたと、ガイドの中谷さんは言ってた。
ヒトラー一人が悪者だった時代から、ヒトラーを生み出す土壌を考える時代へと、変わってきたと。

中谷さんの話には引き出しが多かった。
アウシュビッツでのできごとを、学校のいじめの構造とつなげたり、フランスの現代の大統領選挙の話がでてきたりした。

一貫して、多くの立場から一つの物事を捉えようとする配慮が感じられた。
日本人は被害者でも加害者でもないから、このことをある意味では客観的にとらえられやすい場にいる。
けれど、ドイツと同盟を組んでいたから、決して他人事ではない。

ドイツ側から見れば、また別の論理が見えてくる。
ドイツの国民には責任はない、とドイツの国民はいう。
それは、多数決の暴力が生み出したものだった。
日本でも連立政権という政権があるけれど、ヒトラーもその中から登場してきた人だった。

ユダヤ人側から見れば、ずっと虐げられてきた民族で、それがフランス革命後に変化した。
宗教以外、土地も持たなかった民族が、富と知恵を手に入れた。
それが嫉妬を生み出したと。
いじめられやすい要因は少なからずあったと。

アウシュビッツは、罪悪感を生理的嫌悪感を感じなくてもよいシステムを巧みに作り出した場所だったと。
将校たちは囚人に嫌なことを一切をやらせた。
生きる権利と引き換えに。
自分は見ていないから、罪悪感を感じずに済む。

(囚人という言葉も、本当は違う。
簡単に使うけれど、初めから囚人がいたわけではない)

それから、それでも、最後に責任を問われて絞首刑になった人の、人間的側面も、聞いた。
現地でトップで支持をとっていた将校は、自分が死ぬ前に家族にはとても人間的な愛を示していた。

妻には、これから自分の名前をかたっては生きていけないから、名前を隠して生きていきなさい、と。

それから彼の子どもには、自分のように学ばずに上からの指示だけに従っていると、自分のようになってしまう。
しっかり勉強しなさいと。

こんなことを伝えたんだって。

どうしてどうして、自分の家族にはこんなにも切実で誠実な愛を示せるのに、
同じ家族をもつユダヤ人に対してはその想像力が働かせられなかったのか。
それは個人の問題を超えている。

それじゃあ、なにが暴力を止めるんだと思う?
多くの傍観者が積極的にかかわろうとする仕組みは?

わたしも傍観してばっかりなんだ。
本当に、これから何しでかすか、何を容認しているのか、わからない。

一方で、主張するのはときにとても怖いことで、エネルギーのいることで、
ぬくぬくと生きていたい、という自分も、内側にしっかりとうずくまっているんだ。

+++

個人的にも質問した。

いつアウシュヴィッツに初めて来たのかと尋ねたら、20歳のときに一人で来たと。
けれど、そのときはユダヤ人問題自体がヨーロッパではタブ―そのもので、
今のように多くの人が訪れられる場所では決してなかった。

それからどのようにして、小学生や中学生や高校生の子どもにこの問題を伝えたらいいのだと考えますか、と聞いた。
そうしたら『ハンナの鞄』という作品を読んで、あなたが感じたことを伝えればいいと思います、と言われた。

帰りのバスで心が重くなった。
同じ日本人の人で、外交官をやっている人と、たまたま帰りに一緒になって話した。

これも、たまたまバスで出会った人で、帰りの車に乗せてもらったのだ。

彼女の暮らすバルト三国ではまだ、ソ連の統治下にあった時代からこのようにまだまだ時が経っていないから、過去のことになっていないと。
だから国民が暗いと。
それから、彼女は自分がお役人だから、将校たち、機械的に事務的にことを進めた人たちのことが、他人事だとは思えなかった、と話していた。

わたしは、妹からイスラエルで感じたことを聞いていたから、
そしてパレスチナ問題について話して、教えてもらったあとだったから、
このふたつの問題は密接につながっているように感じられた。

中東戦争は、第二次世界大戦後に起こったことだ。
民族が共存するということはとても難しい。

日本もいま、どのようにして多民族と共存していくか、ということが問われる過渡期にきていると、
単一民族国家から、多民族国家への変化は避けられないから、どのように対応していくのかが問われてくると、中谷さんが話していた。

+++

それから、パリ市内を回った。
ルーヴル、オルセー美術館も行った。
圧倒的な絵画の数の多さ。
歩き疲れてくたくたになった。
ルーヴルでは、たっくさんのギリシャの神々を目にしたし、キリスト教の絵画を見た。
オルセーでは、それはもう、シニャック、ゴッホ、ゴーギャン、ルノアール、名だたる近世の画家たちの絵を見た。

ルーヴルのあとだったから、人が普通の人を描くということ、
神様でなく、貴族でなく、庶民や風景を描くということ、
現実を捉えるということが、いかに革命的だったか、ということを感じた。
中世から近世にかけての美術の流れを、体でつかんだ気がした。


『ムーラン・ロ・ラ・ギャレット』
実際に目にすると、その大きさを目の当たりにすると、
本当にその中で動いているみたいに感じられるんだ。
人が笑ってたし、木漏れ日、光がこぼれてた。

ゴッホの絵には、脈々とした鼓動が感じられた。

シニャックやスーラの絵は、科学的に光を取り入れたんだ、ということも、初めてちゃんと納得できた。
すっごくきれいで鮮やかで、これは絵画上の新時代の到来だったんだ、って感じた。

それから、シャガールの天井画も、見に行った。
オペラ座の天井に描かれる、シャガールの丸くて大きな天井画。
輝くシャンデリア。
必死に必死に、なにが書いてあるかを、一時間くらいかけてメモった。


+++

カード使えなくなって、現金で生活してたから、あといくらあといくら・・・って数えながら生活してた。
いろんな人に助けてもらった。

カメラなくした。
地図もなくした。
大事なメモもなくして
なくしものばっかりで、自分が信用できなかった。

やっぱり男の人には声をかけられるし
どこまで話を聞いていたら大丈夫か
どこからが危険かが、常に探り探りだった。
それでも好奇心が勝ってしまって
お茶したりおしゃべりしたりもした。

人が人と話すことは、無防備になりすぎずに、気を付けてさえいれば、
こんなにおもしろいことってない。

フランス語
英語
フランス革命にいたるまでの流れ
ユダヤ人問題
世界史
お金をどうやってやりくりするのか
ナチス
まだ勉強してないことが多くて多くて
話せないことの方が多くて

もっともっと精密にいろんなこと知ってたら、どんなに理解が深くなるのに、と思った。
言葉を覚えることは、名前を知ることは、
世界を知ること、世界に通じること、人とつながることなんだ、って、思った。

でも、初めてヨーロッパ行って、
それはお話の世界のことではなくなった。


26日にたって、今日の朝成田に帰ってきた。

ずっと日記つけてたから、まとめてアップしたいけど、だいぶ少し時間がかかりそう。
そしてこのことは、ただの体験記ではなくて、裏付けされた資料がないと、だめだ。

旅行だったんだけど、ただの旅行じゃなかった。
いま寝て、起きて、荷解きしようとするところ。
くったくたに疲れた。

今回のお金、自分で出した。
っていっても、おじいちゃんとかおばあちゃんとかのお父さんの援助もあったんだけど。
だからもういますっからかんで、それもちょっぴり自信になった。
同時に今回のことものすごく感謝しなければならないし、お父さんは偉大だな、って思った。
お母さんのことも、考えた。

体と時間とお金がないと、旅行はできないから、って、言ってた。
本を読んで、映画を観て、動けなくなってからも、旅をしていたと、思う。

妹はそれに加えてもう一つ、体と時間とお金と、やる気がないとだめだって、言ってた。
イスラエルに行く前の妹はスウェーデンの冬の間に腐っていく自分は、
前者3つが幸運にもあるのに、やる気がなくてどこにも行けなかった、って言ってた。

妹も、どんどん先に進む。
きっと彼女はもう、本当の意味で日本には帰ってこないと思う。
オランダの大学に行きたいんだって。

踏んだり蹴ったりの人生が許されて当然って、微塵のうしろめたさもなく開き直って突き進めるのは、妹の良さだと思う。

+++

これから時差ぼけを直して、大学院の勉強をとりもどさないと。

向こうである人に言われた言葉。
study and study and study

もっともっと勉強して、賢くならないと。
もっともっといろんなこと知らないと。
まだまだ知らないことが多すぎる。

+++

いまから荷物整理終えて、やらなきゃいけないこと書き出そうっと

家に帰ってきてすきな音楽をかけてジャスミン茶を飲んだら生き返る気がするのは
夏休みに帰ってきてから感じる感覚と、ちょっと似ている

+++

いろいろ

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なくしものが多いことについて毎度のことなのにとてもとてもへこんでいる
いつでも持ち物のことを100%把握してるなんてことができないのに
120%以上のものを持ち歩こうとするからいけない

最近ではやることを忘れないためになにをやるべきかひたすら小さいノートに書くのだけど
(それは博士の愛した数式に出てくる記憶が五分しか持たない博士みたいでかなしくなる)
予定を調整したりとか会うはずだった時間に遅れたりとかすることをやってはいけないと思うのに
追われると目の前のことを調整するのでいっぱいいっぱいになってしまう


正直でいることは善である、となんとなく刷り込まれてきたけれど
わたしはときに善であるために小さな嘘を積み重ねるときがある

偽りは悪ではなくて
潤滑油みたいな役割を果たすことがあって

善も悪も正直も偽りもどれもがとても曖昧なものになる



失敗からしか学べないのかといえば
そんなことはないのだとおもう

歴史をきちんと学べば
そして原因とそれに至るまでの経緯を分析すれば
大きな失敗をせずに注意深く線に踏み込まないようにすることができる
本当は失敗も成功も無くて事実とか事象だけがある

そこに失敗とか成功とか
正しい判断、間違っている判断だと評価を加えて
過去と未来とを区切っているのかもしれない


目の前にあることが膨大すぎて
ときにすべて同じ次元にあるもののように見える
(たとえば図書館に入れば、2012年の新刊も、明治維新のころに発刊された本も
キーワード検索で同じように並んでいる)
だからなにがいいのやらなにがたいしたことがないのやらわからない


吸収したいという思いばかりが広がって
大食漢みたいになってしまうから
バックの中身がいつも重いし
本棚は満腹になっちゃう
たとえば蔦屋で借りたDVDは返さなくてはならない期限に見られないほどのものを借りてくることがあるし
観たいと思う映画とか美術館のパンフレットはたまっていく一方だ

広く広く手を広げていくよりももっと
時間とか重さを質とかを
同一線上でなく、異なる次元のものとしてきちんと見分けられるようになりたいのに


量より質ではなくて
量こそ質だという言葉を覚えているのだけれど
あるところまできたらまた量より質
そしてまたあるところまできたら質より量と
くるくると変わっていくのではないかなあ


お父さんと喧嘩した
喧嘩というほどのものではなかったけどぶつかった
そういうときに一人暮らししたいって思ってしまう
けれども同時にわたしが出たらどうなるかということをすぐに考えたりもする
いつまでも同じ場所にはいられない

ぐるぐる考えているうちにあきらめるような気持ちがでてきて
落ち着いたわけじゃないのになんだかもう終わってる


いまなんで落ち込んでいるのかと言えば
お父さんと喧嘩したときに家ががらんとしてたからかな
お父さんはもうお父さんではなくて
わたしはもう小さい娘じゃない

違う人間同士が同じ屋根の下で暮らすことは
ときに我慢したりぶつかったり譲ったりしなければならないことがあって
妻でもないし恋人でもないけど
踏み込んだり探ったりしてはいけないところをなんとなくわきまえるから
お父さんとの二人暮らしは実は気を使うこともあるなあと思う


妹に会うことをとても楽しみにしているのだけれど
楽しみだけではなくて
少し不安でこれはほんの少しだけだけど怖い気がするのは
なんでなのかな

変化すること、変化を目の当たりにすることへの
わずかな警戒心なのかもしれない


昨日お酒飲み過ぎて、二日酔いにならないように、水とお茶大量に飲んだら、体の半分が水になったみたい。
今日は国立国会図書館に行って資料を集めようと思ってたんだけどなー
買い物に行かないと、と思ってたんだけどなー
ちょっと忘れないうちにメモしておく。


+++

人の一生について考えた。
図書館に行くと、見上げるばかりの全集が並んでいる。
その棚は、高校の時代には目に留まらなかったものもので、高校の時には背表紙の色味が「重厚そうだなー」と、思っていた。
全集の背表紙って、革っぽい質感があったり、なにかくすみを帯びていて、大学の図書館に置いてあるのに、似つかわしい感じがする。

作家について何かを知りたいと思ったなら、まず全集を読破しなさい

と、小林秀雄がどこかで書いていた。
全集読破って簡単に言うけどだな、
全集の量って半端ないから、相当スピードあげて読まないと、読破なんてできない。

小林秀雄ってね、その上で
その作家がなにを書かなかったまで、考えられるようになりなさい
って、言ってる。
つまり、人が書いて残したもののほかに、多くのことごとが書かれなかった、というその事実に思いを巡らしなさいって。

全集すら、読むの大変なのに、と思って、言ってることがよくわからなかった。


+++

昨日とか、今日とか、まあ、2年間くらい通して、わたしはよく人がいなくなる、ということについて考えるようになった。
一番身近だった母親がいなくなって、じゃあその人がどんな人だったのか、ということを、距離をとって考えざるを得なくなった。

昨日も妹と話してたんだけど、

わたしが人見知りしたりする気質とか、小さいころにできないことばっかりだったけど、なんとか頑張ってひとつずつできるようになっていった、っていう過程を踏んでいって、いまみたいな性格が形成されてきたのは、お母さんが4月生まれだったということがとても影響しているんじゃないか。

そして、そういう姉を見て育った妹は、留学先で、自分の根幹が「妹である」ということを強く意識するようになったらしい。
たとえば、人見知りってしたことないんだって。
というのも、お姉ちゃん見ながら、なんであんなに引っ込みじあんなんだろう、と不思議に思っていて、
正直人見知りのふりをしたことはあるけど、人見知りしたことは今までに一度もないと。
お姉ちゃんを見ながら、かぶらないように、人格形成をしてきたのではないかと。

だからまあ、結論として
母親が何月に生まれてどんな性質を持っているか、っていうことは、長女に影響を与え、さらに兄弟関係や人格形成に多大な影響を与える、っていうこと。

何月生まれかっていうのは、たった一つの事象。
ここには様々なことが代入できる。

それで、少し話が逸れましたが。

昨日も思ったけれど、わたしが抱いてるお母さんの姿って、もうわたしが解釈したものでしかない。
けれど、わたしが知らなかった一面に、思いもかけずに出会うことがある。
人って、その人の思考、関係性、その全体であり、その人がどの場所に、どのような姿で、どのように人と関わっていたか、すべてをもって、その人というものが存在してる。
その全体性を忘れてしまっては、いつも一面しかとらえることができない。

わたしがお母さんのことについていろいろ考えているのは21年間ずっと一緒に過ごしてきたからで、
ずっと一緒に過ごしてきたのに、まだ知らない面がある。

+++

それで、全集を読むことの意味っていうのは、
まず時間をその作家と一緒に過ごすことなんじゃないか。

書いた文章、を全部読むことによってしか、その人と一緒の時間は過ごせない。
その上で、この文章が書かれるまでに、どのような経験をしたのか
どのような書物に触れたのか
その背景をつなぎ合わせて「物語」を紡ぎだしていく。
それが、文学研究の意味なんじゃないか。

文学研究は無駄な作業が多くて、論文にひとつひとつ緻密にあたっていくのも大変だけど、
逆にいえば、そのような作業を通して、もうすでにいなくなってしまった人の人生を、たどることができる。
まだ生きている人は、物語が完結してないけれど、
もういなくなってしまった人ならば、その人が残した痕跡を緻密にたどっていって、その人の生きた軌跡に触れることができる。
文章をなにか書いて残す、ということは、作家側から見れば、そうやって開かれた場に身を置くことで生き続けることであり、研究者側から見れば、書物という形で保存された生の人生に触れて、自己に取り入れていくことが許されてる、ってことになるのではないか。

人は一つの人生しか経験できないけれど
多くの書物とか、映画、音楽を通して
複数の生きる時間を、味見することができる。

+++

わたしは、自分の身近にいた人がどんな人だったか、これからも考え続けるだろう。
それは反転して、自分が全体性をもった存在であることを、遠回りながら、確認し続けるってことなのかもしれない。
昨日、お母さんの同僚だった人から聞いた話から触れたお母さんは、とても生き生きと戦いながら授業をしているお母さんで、それは学校でのお母さんだった。
家でのお母さんの姿ではなかった。
話のなかのお母さんは若くて、生気にあふれていた。

けど、一方で、わたしが大学2年のときに見ていたお母さんは
ひとつひとつのことができなくなっていって
それでも映画とか本とかいっぱい読みながら
痛みに耐えながら、毎日を過ごしていたお母さんだった。

どちらも同じ人物で、一人の人の経験なのに、
その落差を引き受けるのはもしかしたらものすごく酷なことだったかもしれなくて
実際にお母さんは、うつ病診断を受けたりもしてた。

わたしはその両方を見てきた。
お母さんはとてもできることがたくさんあって、だからこそ、社会とか生徒、人に対してできることもたくさんあって、自分が何かを変えられるって、信じていたような人だったけど、いざ自分がいろんなことができなくなってたとえばわたしが車で送り迎えしないと、近くの駅まで行けない、なんてことになったときに心の中で受けていたダメージのことを思うと、

わたしはそれに対して娘としてどうやって答えたらいいのか、いつだってよくわからなかった。

それに、実際に横にいる生身の人間の前では、こういう思考を明かすことだって、なにか先がないことのような気もしていた。
だって、病気が治るわけじゃないし、現状だって変えられない。

それでわたしは、お母さんみたいに頑張りすぎちゃったら、病気になっちゃうんじゃないかとか、そういうことも根強く思ってる。
同時に、お母さんがきっと信じていたみたいに、まっすぐに、
教育で人を変えられるとか、なにか理想に突き進む、みたいなこと、心から思えない。
それは、お母さんの両面を見ていたからなのかもしれない。
できることが多いと、できないときに受けなければいけないダメージが大きすぎる。

けど、そういう中でなお、わたしにとってなにが希望になるのかといえば、
お母さんはそれでもなお、
「退院したら、カウンセラーになろうかなあ」って、病院のベッドの上で言ってたことで
それでも先に進むっていうか、お母さんが見ていた理想を抱き続けていたのを、見ていたってことかもしれない。

仕方がないことだけど
わたしが見ていた映像とか、残っている記憶は、だんだんと整理されていって、淘汰されていって
たとえば、もう家には、台所に貼ってあったお母さんのメモの筆跡とか、残らなくなってきてる。

それが、人がいなくなっていくっていうことで、
もうわたしの中の記憶を思い起こすことでしか、アクセスできないし、その記憶でさえ、自分で無意識に取捨選択した後のものだから、お母さん全体と呼ぶにはあまりにも不確かであやふやで抜けが多いものになってきてる。

または、共通の思い出を語ることで、または、知らなかった一面を聞くことで、お母さんという生きていた人に、アクセスすることはできる。

もし思い出すことが多すぎると、思い出の方に飲み込まれてしまって、今の自分の時間を生きることができない。
それがきっともう少し前のわたしの状態だった。
忘れることの効用、過去になっていくということの持つ、マイナスのエネルギーは
なんていうんでしょう、-と-が転じて+へと変わっていくのに近いものがあるように思う。


わたしが意識していないところで、人がいなくなるということを経験している人は、もうこの年にもなれば思いのほかたくさんいて
それは日常会話で出てくる類のことではないけれど、そこここに隠れて潜んでいるものなんだと思う。

小説を読んだり、物語に触れたり、詩を読んだりすることは、
そういう葛藤、日常生活を営んでいく上では、ともすれば流されそうになる葛藤や、人の死について思いめぐらすなんていう、非生産的なことに向かい合ってもいいんですよ、っていう、肯定かもしれなくて、
その肯定によって、救われるということが、あるんじゃないか。

お坊さんもそう、聖書もそう。
宗教の担っていることの意味は、そういう目に見えない部分に向かい合うことによって、生計を立てたり生きている人がいる、という事実。
それを人と共有することによって、救われること。

そういう思考の肯定にあるんじゃないか。

わたしは常に経験から考えてしまうから、
思考のパターンは帰納法ではなくて、とても個人的なことに根ざしてしまう。

けど、お母さんがいなくなるっていうこと、そのことに向かい合ったり、忘れて行ったりしながら、
ときどき、自分の勉強していること、これからの進路、教育、芸術、そんなこととつなぎ合わせてみたりして、なんだかなにかと、ぐちゃぐちゃと、考えている。


昨日はとても感じることが多かったから、また更新。
教員会に出て、思ったこと。

+++

アルバイトしている塾では、2年前まで、1年間、中学1年生の授業を持たせてもらってた。

とはいっても、家族がひとりいなくなった直後になにかを詰め込むようにして始めたアルバイトだった。
なにかやってないと、必死でやってないと、崩れそう。
なにもやってないと、これでいいのか、と焦りそうな気がしてた。


学校に行って帰ってきて、塾の授業準備して、学童のアルバイト行って、子ども会の企画やって、機関誌の記事書いて、家事やって・・・なんてやってたら、体の容量が足りない。

でも、なんでこなせてたのか、っていえば、ぎりぎりのところでやってたからだったんじゃないかなー


2年前の中学一年生の授業考えるのは、負担が重くて重くて。
授業案の提出、クラスニュース書いて、授業をもう一人の子と打ち合わせて。
専従の人のチェックを受けて、またやり直し。

学校見学に行って、そのクラスの子たちの様子を見にいく。
そのレポートを書く、云々。
際限がない。

わたしの場合、いつだって授業考えたりまとめたりするのはぎりぎりで、
思考パターンが、納得するまで動かないところがあるから、思考を帳尻合わせたり強引に持っていったりすることがどうしてもできなくて、時間内に終わらせる、ということが苦手だった。

それに、やりたくない・・・ってどっかで思ってたのもあった。
大学で勉強すること、授業受けることは面白いことだし、せっかく大学という知の宝庫に通っているのに、学校の勉強がおろそかになっていくのが嫌だった。
(と言いながら、遅刻ばかりだったので、説得力にはやや欠けますが。)

人に教える前に自分で学ぶこと、いっぱある。
教えるのは、もっと先でもいいじゃないか。
アルバイトでなんでこんなに時間割かないといけないんだろう、って、思ってた。
けど、引き受けた手前、投げ出せない。

教員会では新人教員の人の模擬授業、というものがある。
模擬授業という名の、公開処刑、だと、わたしは思ってた。
自分のうまくもない拙い授業をベテランの教員みんなが見ている前でして、そこから評価を受ける。

緊張しいだから、ほぐれないままだ授業暴走する。
どうしよう・・・ってなっちゃう。
からまわってしまう。

だから、さ、
うまーくほぐれたときには、解放されて考えさせるような授業ができるんだけど、
笑顔がよかったとか、一生懸命さが伝わってきた、とか、
そんなん誰にでもいえんじゃん!くらいの授業しかできなかったりして、
もー、いいよ、嫌だ、批判なんて聞きたくない!って思ってた。

模擬授業してみて、晒されることによって、
相互評価する人たちに意識を刺激する。
切磋琢磨して、授業の質を上げていく。
頭ではわかってるんだけどさ。

模擬授業の対象にされやすくて、それ、1年間で3回もやってさ。
またわたしかー、なんでわたしばっかりなんだ、って思ってさ。
やりたくないよ、もう。
いやだいやだいやだ、って毎回やるたびに思ってた。

+++

それから、1年間中学1年生を見て、塾を少し離れて、教育実習に行った。
教育実習では、恩師の先生のもとで授業できた、ということもあったし、
授業準備の時間がたっぷりと与えられていたから、しっかりと準備できた。
だから、わたしもリラックスしたような授業ができた。

学校に流れる空気、文化を、知っていたからかな。
逆にいうと、塾では、自分の知らない文化の中で授業をやらなければいけなくて
自分ですらまだ吸収しきれていない文化を伝えなければならない場面が多々あった。

でも教育実習行って、自分にも、自分の経験を交えながらのそういう授業できるんだな、って思った。
だから、少し自信取り戻した。
リラックスできたし、伝えられたものも、あったと思う。
けど、塾で授業はもう持ちたくなくて、一年間離れてた。

塾から離れている間には、大学院の受験のために、毎日毎日図書館に行って、勉強して、帰る、っていう日が続いてた。
お母さんがいなくなってから、初めて自分の時間を持てたような、感じだった。
夏休みにお母さんが残したものの整理も大分進めたし自分の勉強もした。
アルバイトのことを気にすることも無く、自分の論文と遺品整理のことだけを気にしていればよくて、わりに料理作るの好きなんだけど、料理する時間も取れるようになってきて
やっと詰め込みすぎることなく、自分のペースで回せるようになってきた。

+++

まあ、そんな1年間を経て、塾に帰ってきた。

昨日は戻ってきてからの初めての教員会だった。
今回は、専従の教員の一番若い人が、授業をやってた。
例の、超圧迫模擬授業。
わたしもやったなあ、あれ、嫌なんだよなあ、って思いながら見てた。
最初とても緊張してる専従の人の英語の授業受けた。
けどさすが、専従の人で、経験と度胸が違う。
だんだんほぐれてきて、楽しく授業の時間が過ぎた。

あとの評価の時間では。
やはりいろんな意見が飛び交った。

導入はすごく面白い、恋愛の話は外さない、全員に当ててよかった。
けれども、トーンが一定、聞いてて勢いで持って行こうとするから疲れる、恋愛の話をネタとして扱うのはどこまでが許容範囲なのか、とか。

わたし、そういうの聞きながら、自分がやってたときとは全然別のこと考えてた。

一人の授業を叩き台にして意見を言うことによって、その人の考え、重点を置いていることが、見えてくる。
なんでそういう研修が成り立つのかと言えば、
塾には確信があるから。
こういう研修を経て、教員が成長していく、相互評価に晒されることによって、授業の質が向上していく。
その根底には、個人的な感情や嫌悪感とか、簡単に言うとやりたくない気持ち、逃避したい気持ちを超えたところに、教育への熱意や土台がある。

そして、その土台が揺るがないから、一人の人の授業をたたき台にしてもなお、その人自身のプライドや尊厳を貶めることなく、受け止めようとする。

いや、実際傷つくんだけど。
現場の世界ってもっとシビアだ。
生徒にそっぽ向かれたら、なに言っても響かないし、生徒にはさ、話を聞かない権利もある。
ある意味で、教員会の模擬授業よりもずっと厳しい世界。
そういう中でやっていかなければならない。

+++

昨日は、4月の初めの教員会だったから、模擬授業の前に、塾に流れる理念についての学習会があった。
それで、教育基本法や、ユネスコの学習権宣言について学んだ。
こういう戦後の教育理念を土台にして、塾の理念を作っている、その内容について学んだ。

わたし、前から教育学部の言葉って、あまり好きじゃなくて。
きれいごとばっかりな文字が羅列されているように感じてた。
だから、大学進学の時には、教育学部じゃなくて、文学部に行きたかった。
教育学んでも、教育者ってひとつの型にはまるみたいな感じが嫌だったし、それは行くべき人が進めばいい、って思ってた。

けど、昨日、教育基本法や、ユネスコの学習宣言などに触れて、妙に納得した。

教育には、目的がある。
明確な目的がある。

06年度
教育基本法
「教育の目的」第一条
教育は、人格の完成をめざし、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなわなければならない

人格の完成とは、人間が人間らしくあることだと、解釈すればいいらしい。
教育によって、わたしは今読んだり書いたり考えたりすることができている。

そしてこちらは、ユネスコの学習権宣言。
格調高い文章。
これは、教育宣言ではなく、学習宣言、というところがミソ。
学習することは、基本的人権の一つだと、ユネスコのこの宣言は主張してる。

以下、抜粋。

「学習権とは
読み書きの権利であり、
問い続け、深く考える権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり
あらゆる教育の手立てを得る権利であり、
個人的・集団的力量を発達させる権利である。」

「学習権は、人間の生存にとって不可欠な手段である。
もし、世界の人々が、食料の生産やその他の基本的な人間の欲求が満たされることを望むならば、世界の人々は学習権をもたなければならない。
もし、女性も男性も、より健康な生活を営もうとするなら、彼らは学習権をもたなければならない。
もし、わたしたちが戦争を避けようとするなら、平和に生きることを学び、お互いに理解し合うことを学ばねばならない。
学習こそは、キーワードである。

端的に言えば、このように学習権を理解することは、今日の人類にとって決定的に有用な諸問題を解決するために、わたしたちがなしうる最善の貢献の一つなのである」


これらの文章は、しかるべき議論や討論の末に導き出されたような結晶のような文面なんだ、と思った。だから特にユネスコの文章はとても美しい。
こんな文章は自分で考えようと思っても、書けない。

こういう理念を土台にして、塾が日々実践を重ねている。
学習会と模擬授業を通して、すごく漠然とだけど、今までとは違うように教育について考えてた。

+++

理想の追求のためには、日々学び続けたり、日々磨きをかけていかなければならない。
最初から漠然と教育があるのではない。
目指すべき理想に向かっての一つ一つの積み重ね、
たとえば会議があったりとか、模擬授業があったりとか、とてもとても大変なんだけど
そういう過程を踏んで行かないと、理想と現実はかけ離れたものになっていってしまう。

そして、教育はその場限りのものではなくて、
大げさにいえばその人の深部に深く根を下ろすこともある。
考えてみると、その影響力は計り知れないものがある。


専従の人の模擬授業、そのやりたくなさ、惨めさとか、批評を正面から受け止める姿勢とか、そういうものはわたしが模擬授業やってなければ、きっと昨日みたいには感じられなかった。

いざ現場に立ったら、もう誰も訂正してくれない。
自分の中に常に批判軸をもっていないと、教室の中じゃ嘘も甘えも手抜きも、いくらでもできてしまう。

そういうときにさ
自分が模擬授業で言われたこと、専従の人の模擬授業見て思ったこととか、思い出しながら
今度は言われなくても自分で自分の授業見て、磨きをかけていくしかない。
それは、褒められたいからやってる、っていうのではない。

知識や知性の伝授はそういう個人を超えたところにあって、
自分がその個人を超えたものと伝えるためには
やっぱり殻を突き破って、対象として自分の授業や頭の中の伝え方を観察できないことには
いつまで経っても個人のおしゃべりに過ぎない内容になってしまうんじゃないか、と思ったりして。

おしゃべりと、授業は違う。
そして、自分の知性がすべてだと思ったり
学問をわかったと思ったりしたら、そこで終わり。
もうその先、教室の外には出られない。

自分を超えたところに知性があるとしたら、そしてそれは一人では導き出せないのだとしたら
やっぱり相互に意見を交換することとか、批判することとか、受け止めることでしか、
新しいものは生み出していけない。
硬直したまま、終わったら、どんどん時代に置いていかれる。

変わらないためには、変わり続けなければならない。

などなど。

そんなことをぐしゃぐしゃと、考えた、教員会でした。
まとまりがないですが、では。


お腹がぐるぐるいってるー
きのう久々に、塾の教員会に行ったことはさっき話したばかり。

「戻ってきてよかったなあ」みたいなこと、専従の人から言われたんだけど、
その言葉にはもう反論が認められないっていうか、
内部に戻ってきてしまった以上、もうそのコンテクストでしか語ることができないっていうか
けど、嬉しかったんだけどね、っていう気持ちもあって、
なんか反発心が疼いたww

+++

昨日の話。
終電逃した。
で6駅くらい歩いた。

塾の人たちと飲んでて、終電時間間際になって、駅の構内にいたの。
わたし昨日の思いがけない話があったもんだったから、景気よくポンポン飲んでて。
頭の中久しぶりにぐるぐるして、楽しい気分になっちゃってた。

で、塾の人に送ってもらって、「お先に失礼しまーす」とかいってさ、
改札通って電車待ってた。
あと3分だなーとか思いながら。

それで、カンカンカンカンって踏切の音が聞こえてきたなーって思いながら、そうだー、トイレ行きたいなーって思い始めて、
ふらふらわたし、トイレに行き始めたの。
それで、特に急ぐわけでもなく、
あー、電車のドア閉まるのと、わたしがトイレから出るのと、どっちが早いかなーとか思いながら
電車ってホームに来てからどれくらいでドア閉まるんだっけ?
ってぼーっと思ってた。

トイレの中で!

で、すごい考え甘い感じで考えてたら
案の定
トゥルルルルルルルル・・・・プシュー・・・・・・・・・・・・・・・・
って音が聞こえてきた。

で、電車走り去る音。
あー・・・・・って思ってた。
トイレの中でドア見ながら!

でさー、
音だけ聞いて、電車という怪物の姿見ることもなく、大蛇は去ってしまったなあ、とか、思ってて。
で、しょうがないから駅員さんのところに行って
「すみません、出たいんですけどー・・・・」って言ったら
「あー、いまの乗らなかったのね、いま、開けますから」
っていわれてさー

こんな具合にして、終電逃したwwww
もー、電車とか、どーでもいーやーって、どっかで思ってたのかなー
でもさー、タクシー使うほどのもんでもないしーって思って、
一時間くらいかけて、テクテク歩いて帰った!

途中ふらふらで、でも足を止めてはいけぬ。。。って思いながら
わたし、前にめ――――――――――――――っちゃ長い距離を歩かなければならない、超過酷なピクニックのこと、思い出してたよ。

コンビニが何個も通り過ぎてさー
途中であったかいお茶と、ピーナッツ味のキョロちゃんのチロルチョコ買ってさー
それでもなんか物足りなくて
あんまごはん食べてなかったから、パン買って食べた。
白いフランスパンでふんわりしたやつに、サクサクのチョコとバニラクリームが挟まってるやつ。
ちぎりながら食べて歩いてた。

買う時に、あー、コンビニの夜勤の人、働いてるなーって思ってさ。
いや、思っただけだったんだけどさ。

てくてくてくてく歩いて、
以前、塾の人は自転車押しながら、わたしはここ歩きながら、帰ったこともあったなーって思い出したりしながら
お茶、あったかくてさー
胃の中通ってくの、あったかーいなーって思ったりさー

途中に、電車逃したこと、伝えよーって思って
電話帳検索して何人かに連絡した。
こういうときに連絡できる人ってさー、たいてい向こうもアホなことやってる人でさー
別につながらなくてもいいんだけど、つながったら用なくてもアホな武勇伝聞かせてくれるような人たちでさー
でも、思ったけど!
そういう人たちって、電話かけても、往々にして、出ないのね。

昨日は一人捕まったから、
それ話して
「タクシーで帰んなよー」って言われたんだけど
それはなんかバカバカしい気がして
てくてく歩いてた。


最寄りの駅が見えてからが意外と長くてさー
ああ、船旅もきっと、目標の島が見え始めてからが、遠いんだな、って
航海する乗組員みたいな気持ちで馬鹿みたいに思ってさー
ふらふら!
焼酎がよくなかった!

いけるいけるー!って思う前に調整すればよかったんだけど。
足を動かす気持ちだけは機械みたいに稼働し続けてたから
なんとか帰れたー。

久々に無意味に一人で酔っぱらって帰って起きて
朝方ブログを書いています。

あーーーーーーー
勉強しようって、思って、塾のことも断ろうかな、って考えてたくらいなのにー
楽しくなっちゃうんだよおおおおおおおおーー
意志弱いなああああー
昨日もめーっちゃ楽しかったから、また飲み会呼んでくださーいとか、
調子づいて言っちゃうのね、わたし。
なんか、三谷さんも書いてたけど
いい顔したがるんだよ!

いい顔しない!
っていうのが、結構な課題かもしれぬ・・・

いい顔しない、振りまかない。
たぶんさー。人見知るくせに楽しいこと好きだからさー
まいとかないと不安、みたいなこと、あるんだよねえ。

必要以上の愛想ふりまいて、それで楽しい思いしたい癖にさ
あとになって、なんであのとき帰れなかったんだーって、後悔したり、するの。

あー
毎日楽しいなー
塾懐かしいなー
院生になっても変わらんわあ。

+++

いまめーーーーーーーーーっちゃ、酔っぱらってるから、自分、なに書き出すかわからない。
いつか実験したことがあったなー
お酒回ってる時にいかにして文章上の舌が回るか
まあ結果出る前に実験したことすら忘れて、ことん、というのがいつものパターンですが。


ちなみに、わたし、お酒飲んだときに、わりと大胆な気持ちになって、だれかれ構わず連絡しちゃうところがある。
今日もつながらなかったけど、つながりそうだった人に連絡しちゃった。


+++

今日は塾の会議があった。
毎回月に一回は開かれる会議。
わたしのバイトしている塾は、生涯面倒を見てくれるようなネットワークと度量の広さがあって
今学期からわたしも高校部を復活することになった。高校部とは高校生を教える部門。

なんかさー、思うんだけどさー
ずっと一つの場を続けてる組織や団体って、視野が、長い、よねえ
長いっていうのはおかしいか、でも揺るがないというかさー
わたしは、その中で葛藤したり、辞めたいと思ったり、もっと自分には合う場があるんじゃないかと、日々思いめぐらせて、なんとか自分のペースを保ちたいと思ったり、褒められたいと思ったり、する

けどさ、
息の長い場にとって、一人のバイト教員なり、バイトスタッフはさ、あくまでも一人の教員でしかない。そういうことがわからないで、細かいことをあまり気にしすぎていると、毎日リセットしてやり直したいことばっかりで、しまいには嫌になってきちゃうんだ。
それを気にしすぎると長くは続かない。
けどさー
何十年も続いている団体にはそれなりの理由があるわけで。
わたしの葛藤なんてさー、ひとつの事象に過ぎないんだ。

わたし、今回もそう、感じたよ。
自分は、それなりに葛藤したりしてるけどさ、それで0か100かって考えてしまうのって、狭いなあって。ずーーーっとやってきている人にとっては、それは一つの場面でしかないんだなあ、と。

それで、全然話はそれるけれど。
今日、塾で思いがけない話があった。

+++

たまたま塾に来ていてこれからスタッフをやることになった中学校の体育先生が(もう引退した)、実は、わたしのお母さんの親友で、お母さんが勤めていた時の同僚の人で、わたしの小さいころのことまでよく知ってた。

お母さんのことも、夢みたいに話してた。
最前線で働いていた様子を、教えてくれた。
うちのお母さんは、とても理想を大切にした人だったし、泣く子も黙らせて、授業に引き込んでたらしい
その授業づくりのためには時間や努力も惜しまなかったって。。。


お母さんの働いていた現場のことをこんな風にして知るなんて、思いもよらなかった。
わたしが通ってる塾に、お母さんの同僚の人が来るなんて。
抱きしめられてね、すごく、なにか感じるものがあって、泣いてしまった。

お母さんは、完璧主義者だったし、授業案もものすごくしっかり作っていたと。
ものすごく荒れていた学校で、それでも、授業の中で生徒を変えていこうとしていた、と、教えてくれた。

お母さんは、中学生を惹きつけるような資質とか、知識欲とか、教員としての器量とか、必要なものをすでにして全部持っていたけれど、努力を怠らないで、自分の中身をもう一度崩して作り直そうとしているかんじだったと、その人に教えられた。

今度、家に授業案とかあると思うから、おいで、と
誘ってもらった。
それから、一緒にお墓詣りにも行きたいと。

そしてそのような一件があってからのあとの、代表に人の言葉が一番わたしには心に残っている。

代表の人はこのことある意味、運命だな、と。
わたしもお母さんの同僚だった人も、まったく関係ないところから、塾と出会ってるのに、つながった。

手放しの運命論者では、わたしはないけれど。

やはりなにかひっかかるキーワードとか世界は
同じ網に引っ掛かる人たちを通してつながりを生み出すのではないのか、ということ。

お母さんが惹かれたもの、生きていた現場と、わたしの今がつながってしまったような気がした。
それはものすごく嬉しいことでも、あった。

同時に、わたしとお母さんの気質の違いみたいなもの、
違う人間なんだなあ、ということも、感じた。
わたし、お母さんみたいな完璧主義者ではないし、
授業もあたふたしちゃうし。
授業準備もぎりぎりだ。

なのに、わたしと同年代くらいのすごい力強いお母さんの授業してる姿とかが、
その人の話を通して生き生きと浮かび上がってきて。

ああ、やっぱり違うんだなあ、でもどこかでつながってるんかな、とも、思った。

そして、そのことは、お母さんもその人もわたしも、同じ地域にいたからこそ、そこでなにか働いていたからこそ、わかった事実であって、
地域との連携性、重要性はとても必要なものなのではないかと
そう思いました。

いま半分寝ながら書いてるからこれで一応区切り、
何がなんだかわかりませんが以上です。

(えー、きのう寝ちゃったから、いま一回推敲入れました。昨日は最後に飲んだ焼酎がいかんかった。水がぶ飲みしたら、ちょっといま楽になった。)

それではね。
また書きます、機会があればくわしく。
では、おやすみー
+++

書いても書いても結局我慢がならなくて消してしまう。
言い過ぎてると思ったり、訂正したいと思うことばかり。
あーあーあー。

内面ぐらぐら揺れていると、読み返すこともできないし、そのまま非公開にしちゃう。


最近あったできごとを少し。
毎日自炊ができていて、お弁当事前に作って、持って行く。

大学の横にある公園でお弁当食べながら桜見てたら、なんとはなしに春らしい気分になったから、
久しぶりに妹にメールした。
明るい気分だったから、お手紙らしい感じになった。

昨日、イスラエルからの手紙が届きました。
大学院生活も一週間が終わました。
最近ではお弁当をつくっていて、今日は鮭とゴマとネギの混ぜご飯、にんじんとしいたけのそぼろ煮、キャベツの炒め物、作り置きして、次の日持っていきます。
勉強も忙しくなりそうだけど、そちらはどうですか。

など。

そしたら

おねちゃんも例年通り四月病を発病しているみたいで安心しました。
お弁当作ってるなんて、まさに典型的な症状ですが、まあ焦らなくても時間が経てば治るから大丈夫と思います。

と的確な返しをしてくれる妹です

+++

お休みしていた塾を、今週土曜日から復活した。

中学生から高校生になった男の子に久しぶりに会う。
向こうも大きくなってるし、照れられるのが、わかる。
わたしも最初の4月とか、苦手で、どんな距離感取ったらいいのかわからない。
しゃべるの下手だし、区切りもうまくつけられない。
自己統制が取れてないなあ、と、思う。
けど、全部ひっくるめて独特の感じを、俯瞰して、楽しんでいたりも、する。


+++


きのう、大学の人たちに、卒業と入学と誕生日を、お祝いしてもらって、超超超うれしかった。
嬉しいと、いつも、表情の方が追いつかない。
喜怒哀楽の楽に、四段階くらいあればいいのに。

後輩と話すときとか、褒められるときも、そう。
どんな顔してていいのやら、戸惑ってしまうけど、嬉しさが隠せないから、わわわわーって、なる笑
で、それ、投げちゃう・・・んだよな
ちゃんと、受け止められる人って、落ち着いてる人なんだろうなあ。

+++

2月3月には朝にカフェでバイトしてた。
4:30に起きて、毎日6:00から出勤。
朝の仕込みと、コーヒーを落とす。
いろんなことをてきぱきと同時進行でこなす。
初めて、マニュアル通りに動かなければいけないバイトをした。

だんだんとお客さんを覚えてくるんだけど、

Lカップのコーヒーを、店内で飲むけどテイクアウト用カップお願いします、という女の人に、
いつもスムーズにコーヒーが提供できない。

しかも、その人、呆れた感じでわたしのこと見てるから、なおのことうまくいかない。
そういうのがもう3回続いてるもんだから、その女の人が店に現われると、どきどきしちゃってだめ。
頭ではわかってるしそうだよな、って反芻するのに、思えば思うほどぎこちなくなって、ああ、まただめだこの人、って思われてるだろうな、って、思ったら、ひとつずつ手順おっていこうとするのに焦ってしまう。

この前はやっとクリアした。
毎回倒されるゲームの敵みたいだ、と思った。

毎度毎度間違えるところは、毎度毎度意識して直していくしかない。
で、わたしなぜか頭の中で、受験の時に叩き込んだ英語頻出問題集思い出してた。
毎度毎度間違えるところに、五個も六個も丸がついてくってあれ。

不器用なんだろうなーーーー
ソツなくこなせない。
できる人って、こんなこと考えずともできるし、たぶんかわしたりサボったりばれないように差し替えたりするのがうまいんだ。
どうしたらいいんだろうね、まったく。


+++

遅刻、遅刻、遅刻。
その感じはいつからだったかな、と思ったけど、わたし、中学1年生の塾の時にもいつもぎりぎりだったわあ・・・
ぎりぎりか、遅刻するかの境目は、小さなことに急ぐか急がないかで、
諦めるか諦めないか、だ。

たとえば、髪の毛のピン止めをせずに家を出る、とか。
駅までの道を早歩きするとか。
一本速い電車に乗るとか。

そういう小さなことを頑張れるかどうか。

どうせ遅刻だしなー各駅でいっか、ってならないように。
諦めないことが肝心だったりする。

絶対に遅れてはいけないときには、30分前くらいに現地に着くようにしてる。

最近ではおばあちゃんに「一事が万事」って言われてから、
授業遅刻しなくなってきた。
遅刻は癖、習慣。
100%吸収しようと思ったら、時間の5分前には落ち着いてるのがよい。

最近表面であったことはこんな感じです。
できごと作文だわ。

あ、そうだ、ビラの絵を描くように頼まれて、久しぶりに絵書いたわー
下書き4回くらいした。
一番、キャンプっぽさが伝わるシーンはどこだろうな、と思いながら、

キャンプファイヤー?
川遊び?
カレー作り?
など、絵に起こしてみた。

最近美術にとても興味があるから、
構成とか、どこで完成とみなして止めるのかとか、参考になったような気がする。

あ、いまからスカイプだ

唐突ですが、とりあえず終了。
では



妹がイスラエルに行ってきたって!
いーなー!
超うらやま!うらやま!
わたしも行きたい。

おばあちゃんも、エルサレムは素晴らしかった、って言ってた。
いつか、絶対、行く。
勉強して、死ぬまでには絶対、行きたい。


メモ。
小津安二郎「東京物語」。
カメラはずっと映画の中の行動とか会話を、じっと捉えているだけなのに、最後の方でやっと、登場人物の本音が出てくる。
なにを言わせて、なにを言わせないか。
じっとじっと見つめ続ける視点があった。
だから、最後の本音がやっと聞き出せたように感じた。

東京見物に行って帰ってきた老夫婦。
帰ってくるなり、お母さんの方が危篤になり、亡くなってしまう。
その10日間の間に、息子や娘たちの仕事の忙しさ、そこから来る「冷たさ」が描かれている。
同時に、戦死した息子の嫁だった紀子さんの、温かさも、描かれてる。

―きれいな夜明けじゃったなあ
―今日も、暑くなるなあ

お母さんが亡くなった後の、お父さんの呟き。
一人で夜明けを眺めてたんだろう。
下駄姿と浴衣姿で、紀子さんに呼ばれてふらりふらりと戻ってくる。
その場面が一番印象に残ってる。

尾道。
最初と最後に映される風景は変わらない。
東京へ旅立った日と同じように、近所のおばさんが訪ねてくる。

―1人になったらおさびしいでしょうに。

最初と尾道の風景を見たときに、ああ旅してきたなあ、って思った。
東京へ行って、熱海に行って、帰ってきて、奥さんが亡くなって。
東京、娘や息子たちの変化、久しぶりに出会った友人とのお酒、妻の最期。
いろんなものを見てきて、今やひとりになったのに、尾道はなんにも変わらない。

流れていく。


新学期、始まった。
田山花袋研究しつつ、高校で先生をしている、という自己紹介をしたDr.の人とか。
映画の研究という名目で、北朝鮮に行った人の話、とか聞いたり、とか。


日文の文化はまだまだ奥が深そう。
知らないことがいっぱいある。
大学院、楽しみになってきた。


日文の先生のあいさつが、とても印象に残っている。
ビールの入った紙コップ片手に、少々長い挨拶を、聞いていた。
すっと入ってくる挨拶だった。


「わたくしは平家物語の研究をおります。
今は世界の歴史の中の戦にまで、手を広げ、ギルガメシュ叙事詩について調べています。
この年になっても知らないことばかりです。
メソポタミア、という言葉を知っていますか?
メソポタミア文明は、チグリス川、ユーフラテス川の間の土地で生まれました。
この、メソ、という言葉は河の、という意味で、ポタミア、というのは、間の、という意味だそうです。
わたくしは今まで、このような基本的なことを存じておりませんでした。
最近よく、常識ということを考えます。

常識が足りんなあ、ということを、日々痛感しております。

若い人は、自惚れなければいけません。
自分は、自分の息子に、お父さんは世界一なんだぞ、と自慢したことがあります。
まあ、そんなこともないんですが、平家物語に関することなら、世界一だぞ、という風に、そのときは思っていたのであります。
勉強をしていくうちに、自分の無知さに気が付きます。
いかに常識がないか、ということに、直面していきます。

けれども、この分野に関しては自分くらい勉強しているものはいない、という気概こそが、大切だったりします。
無知さを恥じるばかりでは、どうにも先に進むことができません。

ぜひ皆さん、うぬぼれてください。
そして、大いに学んでください。
ご入学おめでとうございます。
乾杯!」



春休み、超長かった。
バイトして、考えて、いろんなとこ行って、また考えた。
意図して、おばあちゃんに会いに行った。
そういうことができる年にもなった。


外の風が強いと閉じ込められてる気分に、なるなー。
洞窟の中みたいに、ひっそりとしている。
外の音が遠い。
風、ほんとうに、吹いてるのかな。

部屋の中は時計の音と打ち込む音だけだから、なんだか不安だ。
蛍光灯が明るすぎるし、DVDは初期画面だし。
あったかいものをお腹の中に流し込まないと、落ち着かない感じ。
お茶でも、ココアでも。
そうしたらちょっと気がまぎれるかもしれない。
ひとりの夜。

大学は、出たけれど。
上を向いて歩こう、じゃ、ないけれど。

では。